2022-05-29 22:48 [Sun]
溢れ出る情報量、溺れるのも仕方なし
» 日記
頭が爆発するぞ。「よい」とされてきたことに疑問を持とう――澤円氏が語った、変化の激しい世界で生き抜くために必要なマインドセットとは? (1/2)|EdTechZine(エドテックジン)
https://edtechzine.jp/article/detail/2751
冒頭、会場とのセルフィーからスタートした圓窓代表の澤氏のセッション。「ドヤ顔で語れるちょっとした小ネタ」として、現代日本人が1日に触れる情報量が「平安時代の一生分」であり「江戸時代の1年分」であることを紹介した。これは決して現代人の脳のサイズや働きがよくなったわけではない。あくまでハードウェアコンフィギュレーションは20万年前以来変わっておらず、「データとソフトウェアのアップデート」でここまできたというわけだ。
現代人が膨大な情報量を獲得できるようになったのは、飛行機など「高速の移動手段」のおかげだ。早く遠くまで行けるようになり、触れられる情報が格段に増えたということである。
スマン、リンク先の記事を全文読んでいない。スムーズな情報交換が可能になった。つまり、通信の発達によるものが大きい。
冒頭部分の文章のみを引用したくて貼った。
上の引用から更に抜き出すと、この部分だ。現代日本人が1日に触れる情報量が「平安時代の一生分」であり「江戸時代の1年分」である
今日テレビを見ていて、「おお」と思った。
キーワードで検索してヒットしたサイトの中の一つが、上リンク先の記事。
割と有名な言い回しのようだ。知らなかった。無知でスマンね。
しかし疑問に感じてツイートしている人が居た。
要出典の情報なのだそうだ。誰が言い始めたのか。
特に根拠となる話が見つからない。
信じるか信じないかはあなた次第です!状態だ。
ただ言わんとしている事は分かる。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、何なら電話も、人と手軽に繋がる手段が増えた。
インターネットによって、更に情報の流れが爆発している。
平安時代や江戸時代と現代を比べたら、まぁ分からなくもないかな。
瓦版は江戸の新聞。現在のように大量印刷できない。
平安では新聞のような物すら無かったというわけか。
人同士の噂話だけでは、そこまでの伝搬する力は無かっただろう。
現代の田舎話でも良くあるように、小さい規模では、
かなりの速度で情報共有されていたのだろうな。
通行手形が無ければ関所を通過できない。
そのため部外者からの噂話は共有しづらそうだ。
今も昔も人伝ての早さは変わらないかもしれないが、やはり規模が違う。
通信技術の進歩は、昨今の技術開発の速度とも比例していそうだ。
そして私はしょうもない情報をネットに載せて、更に情報過多にしているわけだ